映画『ジョーカー』この難解な問題作を、こう解釈してみました!

2023年8月20日

ロッカリア

 

どーも、ロッカリアです。
今日はネタバレ全開で、この問題作を紹介するので、未見の人は作品を見てから読んでください。
それでは、二つの仮説を立て、それを検証していく形で話を進めていきましょう。(ハッキリ言って、今回は長くなります)

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仮説1[アーサーは病院から一歩も出ていない(これは回想録である)

お断り:以下、記載されていることは、僕個人の主観であります。映画は見る人によって、感じ方、見え方が違うのが魅力だと思うので、こんな見方もあるんだな、程度にお読み下さい。

まず、この物語を複雑にしているのは、現実に起こったこと(アーサーが体験したこと)と、彼の妄想が入り乱れていることです。
これは勿論、監督の意図的なもので、アーサーの精神状態が、いかに狂っているのかを演出、そう推測できます。
そう、アーサーは、極度の精神異常者なんです。
それを、細かく見ていきましょう。

時代背景は1972年〜1984年

オープニングのワーナー・ブラザースのロゴが、この時代に使われていたもの、と言う事で、この時代に起こった出来事を表しています。
舞台はゴッサム・シティですが、そのモデルはニューヨークとされている。
つまり、大都市が、最も治安の悪い時代の話、と言うことを象徴しています。

11:11の謎

まず、最初に変だな、と思ったのが、多くの人が指摘しているように、黒人女性のSW(ソーシャルワーカー)と面談している場面。
時計の針が11:11を指している。
その時の会話。

女性SW「定期的な面談は、役に立っている?」
アーサー「病院にいた方がよかった」
女性SW「考えてみた? 監禁された理由を」

この時、場面が病室にかわり、アーサーがドアに何度も頭をぶち当てているシーンが挿入される。
観客は、てっきりアーサーが回想したと解釈してしまう。

アーサー「さあね……。医者に薬を増やすように言ってくれる?」
女性SW「7種類も飲んでるのよ、十分でしょ」

問題点がいくつかある。

病室に場面転換した時、時計の針は、今会話している部屋と同じ11:11だった。
しかも、その病室には大きく「監視室」と書かれてある。
これは文字通り、監視が必要な患者の部屋で、いかにアーサーの精神状態が悪いのか、を示唆している。
また、時計の針が11:11と同じ時間を示しているのは、時間に意味があるのではなく、同じ部屋、つまり、最初から病室での会話であり、アーサーがソーシャルワーカーの部屋での会話だと、思い込んでいるだけ、と解釈できないだろうか?

疑問はは続く。

薬を7種類も服用している、と言うこと。
一般的に考えて、この量は多い。
そこから導かれるのは、アーサーの症状はかなり重い、と言う事ではないか?

また、黒人のソーシャルワーカーと言うのがポイント。
この作品のラスト、病室でアーサーの面談をしているのが、黒人女性の医師である。
精神疾患の患者にとって、「顔の違い」なんて言うのは、それほど意味が無く、肌の色だけが印象に残っている、と解釈できないだろうか?(つまり、同じ人物だった…)
また、黒人女性にしたのも、意味があるんです。

アーサーがジョークのネタと、一緒に描いている日記、これも問題だ。
日記を見たソーシャルワーカーの女性が、顔を顰(しかめる)ほど、えげつないノートの内容だ。
書き殴られた文字に、首のない裸の女性の写真など、パラパラとめくっただけで、精神に問題がある人間が、書いたとしか思えない、そんな内容ですよね。

このシーンでタチの悪いのが、アーサーが言った一言。

「病院にいた方がよかった」と言う発言。
これを聞いた時、誰もが、アーサーはすでに病院を退院している、そう思ってしまった。
映画が始まって間もない時だ、アーサーに妄想癖があるとは、この時、まだ誰も思っていなかった

アーサーの妄想を紐解く

この映画を見ていて、アーサーが妄想に取り憑かれている事を、観客に伝える決定的な場面がある。

恋人だと思っていた、シングルマザーのソフィーとの関係が、自分の妄想だったと気が付き、愕然とするシーンだ。
そして、ソフィーの部屋に勝手に入り、追い出された後、自分の部屋で、狂ったように高笑いする。
ここで初めて、観客はアーサーの妄想癖を知る事になる。

しかし、これでは後の祭り、だったのだ。

僕は今、この作品を振り返って書いているので、後出しジャンケンのように、真実を見極めようとしているが、初めて見た時は、観客の多くは、すでに、いくつかの事実を、見逃してしまっている、からだ。

ならば、一体どこまでが真実で、何がアーサーの妄想によるものだったのか?

これは難しいが、おそらく、ピエロとして働いていたシーンが、アーサーの実体験ではないだろうか。
何故なら、その時に、アーサーが極度の精神異常に陥ったと思えるシーンがあるからだ。(その決定的なシーンは、後で記載します)

アーサーは、テレビを見ていると、自分がすぐに、その中に入り込んでしまう癖がある。(と考えられる)
「マレー・フランクリン・ショー」を見ていると、自分はいつの間にか観客席にいて、マレー(ロバート・デ・ニーロ)にステージに上がるように言われ、スポットライトを浴びる。
これは、常に自分のことなど誰も気にしていない、と思っている反動から来ることで、あまりにも都合が良すぎる。(そう、あまりにも都合良すぎる部分が多く、その全てがアーサーの妄想だと考えられる)

また、ピエロの扮装をして、暴動が起こっているニュースを見ていると、すぐに自分もその中を歩いている。
しかもこの時は、トーマス・ウェインの主催の映画鑑賞会場に潜入する。
ここでの描写は明らかに変だ。

簡単にボーイの服を拝借して着ているし、通路のど真ん中に立っているのに、誰も文句を言わない。
普通なら「邪魔だ」「見えない」「どけっ!」と言われるだろ。(普通の映画館でもそうだ)
ウェインの劇場は、オペラハウスのような構造をしており、そこで映画、チャップリンの『モダンタイムス』が上映されている。
しかも、観客は全員フォーマル・スーツ……。(映画を見るのに正装?)
アーサーは、いとも簡単に侵入し、タイミングを合わせたかのようにトイレに。
そのトーマス・ウェインを追いかけて、トイレに入り、「僕は息子だ!」と迫る。
トーマスは、アーサーの顔を殴る。
殴られたアーサーは、洗面台に両手を付いて、うつむく。
すると、場面転換する。
その時のアーサーのポーズは全く一緒で、自宅のキッチンに両手を付いて、うつむいている。
これは明らかに妄想シーンだと考えられる。(監督が、妄想だと言っているようなもんだろ…)
オマケに、冷蔵庫の中のものを取り出し、冷蔵庫の中に入り込んでしまう……。
あまりにも異常な行動だ。

アーサーが、いきなりスタンダップ・コメディのテレビ・ショーに出演?
このシーンも全て妄想だ。
素人の、しかも自分のスタイルを持っていない人間が、厳しいオーディションもなしに、TVショーなどに出れるわけが無い。(これも都合が良すぎる)
これにもちゃんと前振りがある。
アーサーは、少し前、このショーの観客席にいて、メモを取りながら出演者に拍手を送ったりしているシーンがある。
いかにもコメディの勉強をしていしています、的な描写だが、これも場面転換すると、アーサーは自分家の机の上で、メモを取って、一人で何かを言っている。
これも、テレビを見ていると、いつの間にかその中に入り込んでしまう、彼の妄想癖だ。

また、別の日に、「マレー・フランクリン・ショー」のビデオを見ながら、ゲストと同じ仕草を真似ているシーンがある。
これは、妄想癖を象徴しているアーサーを、ご丁寧に演出しているので、絶対見逃してはいけない。

と言うことから、必然的に、後の「マレー・フランンクリン・ショー」で起こる全てのことは、妄想である、と言るんじゃないでしょうか。

はて、ここまで来ると、ある疑問が生じないだろうか?

じゃあ、地下鉄で会社員を銃で射殺したのも全て妄想なのか?
答えは妄想である、だ。
何故なら、このシーンも確か話題になっていた。
銃弾が多く発射されている、と。
僕がカウントしてみると、8発は確認出来ました。
地下鉄内で5発、ホームで3発。
拳銃は、回転式シリンダーのもので、おそらく銃槍は6発だろう。
と言う事から、なぜ彼の拳銃から多く弾が発射されたのか?

答えは簡単だ。
アーサーは実際に銃を撃った事がない、撃っていない、からだ。

彼は公衆電話で、仕事のクビを宣告された。
やるせない気持ちで、電話ボックスのガラスを頭で叩き割る。
場面が転換すると、地下鉄の中から窓の外を見ている。
そのアーサーは、まるで電話ボックスの窓を割った時の続きように、窓を見て前後に頭を揺らしている。
この時既に、妄想していると考えられる。

しかし、この地下鉄のシーンには、もう一つの考えも成立する。
地下鉄のシーン全部が妄想でなく、会社員に殴る蹴るの暴行を加えられ、気絶したように倒れ込んでしまうアーサー。
ここまでが実際に体験したことではないか、
そして、ストレスを抱え込んだであろう、と言う考え。

しかし、突然、何事もなかったかのように、銃を取り出して、二人を列車内で撃ち、ホームに逃げた男を追いかけて、トドメを刺す。
このシーンもよく見ると、乗客が一人もいない事に気が付く。
それに、銃を撃った事もないだろうアーサーが、離れた距離から銃弾を命中させるのは、至難の技ではないか?
いずれにせよ、人を殺すシーンは、妄想の可能性が強い。

母親はアーサーが殺したのか?

これも疑問だ。
と言うのも、病院で母親の顔を枕で押さえ、窒息死させている。
状況から見て、どう考えても、彼の犯行はすぐにバレるはずだ。
心電図は異常を示し、母親はナース・コールのボタンまで握りしめている。
仮にアーサーが逃げ出せたとしても、その後、元仕事仲間が二人、「お母さんが死んだって?」と、酒を片手に能天気に訪ねてくる。
いくら警察が無能だとしても、そんな状況はおかし過ぎる。
窒息して、死んでいる患者を見つけたら、医師や看護師は不思議に思い、警察に通報するのが普通ではないか?
当然、看病に来ていたアーサーが疑われ、逮捕、或いは勾留されてしまうはずだ。

そう考えると、母親の死は、殺人ではなく、自然死なのでは、と考えられないだろうか?

一番の問題のシーンがこれだ!

さて、ピエロとして働いていたアーサーの生活。
これは彼の実体験で、これ以外の事象は全て妄想、と言う大胆な仮説をおっ立てているのですが、じゃあ、彼は何故、重度の精神病患者として、病院から一歩も出ていない、と言い切れるのか?

こんなエピソードがあります。
母親が、かつて入院していたアーカム州立病院を訪れるアーサー。
その時、職員に、「この病院は、どんな人間が収容されているのか?」と尋ねる。
職員は、「重度の精神異常で、他人に危害を加えるような人間だ」と答えている。
エンディングでは、おそらくはこのアーカム州立病院の一室が舞台となっている。
それを考えると、アーサーは「他人に危害を加える恐れがある、重度の精神病患者」と考えられる。

では何故、アーサーは、そんな事になってしまったのか?

会社員3人を殺したのも妄想、母親殺しも妄想、マレー・フランクリン殺しも妄想……。
妄想なら罪に問われないし、病院送りも無い。
ならば、実際に起こった悲惨な事件があるはずだ。

それがこのシーン!

先ほど記載した、同僚二人がアーサーの家に訪れた時だ。
この二人、一人は小人のゲイリーと、アーサーに銃を渡したランドルだった。
アーサーがクビになった直接の原因は、ランドルから貰った銃が原因だった。
ランドルに対して、恨みを持っている事は、容易に想像が付く。
ランドルは、会社員を殺した銃が、自分が渡した銃だとバレるとヤバイから、口裏を合わせようとやって来た、と、アーサーは思っている。

実際に、ランドルがそう言っているが、この時アーサーは、ランドルの話をまともに聞いていない。
つまり、アーサーにとって、訪ねて来た理由なんて、どうでもいいからだ。
おまけにアーサーは、もう薬を飲んでいないから、気分が良い、とまで言っている。(しかも本人は、既に多くの人を殺したと思い込んでいる)

ここで、アーサーは初めからランドルを殺そうとして(と言うより、誰が来ても、用心のために)、隠し持っていたハサミをランドルの首に突き刺し、次に目、そして壁に何度も頭を打ちつけて殺している。
この作品において、一番、悲惨な場面ではないか!

しかし、もう一人のゲイリーには、恨みは無いと言って、逃がしている。
描かれていないだけで、このゲイリーが、すぐに警察に通報したのは、当然の事だろう。
ならば即逮捕、逃げていたなら指名手配だ。
「マレー・フランクリン・ショー」に出演など不可能、そう考える方が正しいのでは?(前に記したので、改めて言う程でもありませんが…)

この事件がきっかけで、アーサーは逮捕され、監視付きの病室に入れられれる事になった、と考えたい。

だから、彼は病室から一歩も出る事なく、医師に自分の物語を語っていた、あるいは妄想を勝手にしていた。
観客は、それを映像で見せられていた、と言うのが、あの病院でのエンディングに繋がっている、と僕は考えるのです。

仮説2[この作品は、ヴィラン(悪役)としてのジョーカー誕生の物語ではない]

アーサーが、悪役のジョーカーでは無い理由

僕が一番そうだと思うのは、多くの人も指摘しているように、もしアーサーが、後の悪役ジョーカーだとしたら、後のバットマンになる、ブルース・ウェインを幼く描きすぎている。
これは、わざと年齢差を見せて、悪役ジョーカーでは無いよ、と言っているのも同然ではないだろうか?

ジョーカーと言う名前は、マレーが「道化師ジョーカー」と言ったのを、アーサーが頂き、そう名乗ったから、観客は単純に、あのジョーカーだと思い込んでしまったのだ。
考えてみてくれ。
ジョーカーとは、トランプの切り札、と言う事もあるが、この作品の、一連の流れを見ていると、アーサーはコメディアンになりたかったのだ。
だから、ジョーカーと言う、マレーが考えたネーミングを気に入ったのは、ジョーク、つまり冗談を言う人、だからだ。
もう一度言おう、アーサーは、コメディアンになりたかったのだ。

監督のトッド・フィリップスは、インタビューで、

   私たちの頭の中では、このストーリーは1970年代後半から80年代初期の設定です。これには多くの理由がありますが、主な理由はDCユニバースから切り離すため…。
今までの映画で観て来たジョーカーと、このジョーカーが共存することは避けたかったのです。
そのため意図的に、すべてその話が起こる前に設定しました。

【雑誌「Esquire」より】

と語っています。

つまり、全く別の解釈で作られた、別のジョーカーだと言っている、そう感じませんか?
もしこの作品が、悪役ジョーカー誕生の物語、だとして制作されたなら、それこそハッキリ言えば済む事です
しかも、監督が明言しないのは、観た人ぞれぞれの解釈があって、それを聞くのが楽しいし、それらを否定する事もしない、そう言っているんです。

いかにして「ジョーカー」は誕生したか?

これはマスコミや配給社会、試写を見たライターさん達が言った言葉で、監督は、そんな事、一言も言っていないないのです。

血がベッタリ、なんだけど……

テレビの「マレー・フランクリン・ショー」での殺人も妄想なら、その後、警察にパトカーで連行されるシーンも妄想。
ピエロの扮装をした群衆が、アーサーをまるで、映画の主人公を扱うように、パトカーから助け出す。
大事故にも限らず(警官二人は死んだか重症)アーサーは何事もなかったかのように、車のボンネットの上で踊り出す、これも妄想。(自分だけが無傷なんて、都合が良すぎる)

そして、現実に戻ったアーサーは、黒人の医師と面談している。
二度にわたるソーシャルワーカーの面談も以前にあったが、この時も黒人女性であった。
ラストの医師も黒人女性である。
黒人女性と言う特徴以外、精神障害のアーサーには関係ない。
だから、顔の違いに関係なく、この監視室から、結局一歩も出ていない、彼の回想を映像で見せていた、悪役ジョーカーの誕生物語では無い、そんな結論が浮かんで来るのです。

ラストシーンの解釈

まず、何故、黒人女性の医師に意味があるのか?
少し掘り下げると、後の恋人、ハーレイ・クインが、このアーカム州立病院に勤務していて、ジョーカーに惚れ……と言うエピソードが有名なんですが、黒人女性にする事で、その線の関係性を消したのでは? と仮定すると分かりやすい。(ハーレイ・クインは白人女性)

さて、「面白いジョークを考え付いた」と言った後に、ウェイン夫妻が路地で倒れているシーンが挿入される。
これも、ピエロによって殺されたと思っている、アーサーの妄想、と言う事がわかる。(そこには居ないのだから)
場面が切り替わり、廊下を歩くアーサーの足跡には、血がベッタリ付いている。

これもおかしな話で、手錠しているアーサーが、もし女医を殺したとするなら、その方法も気になるが、それよりも、大きな監視窓(アーサーの左側にある)が付いた部屋での犯行は、すぐに職員にバレるだろうし、靴底に、あれだけ血がベッタリと付いているのに、アーサーの白い服には、返り血一つどころか、全く血が付いていないのは、不自然だし、あまりにも不思議だ。
これも、彼の妄想だと考えればも合点がいく。

廊下を左に逃げるアーサーを追いかける職員、次に、またアーサーが先頭で右に向かって逃げて行く。
その後を職員が、また追いかけている。
ラストは、まるでドリフのコントを見ているようなエンディングだ……。

最後に付け加えておきたい事

アーサーが、子供達の前で拳銃を落とした場所が病院(小児科)。
アーサーが、母親ペニーの資料を見ていたのも、病院の中。
その母親を殺した(ように見えた)場所も病院
ラストも病院の一室。

大切な節目で、これだけ病院のシーンが登場するのも、きっと、[アーサーは病室から一歩も出ていない]と言う仮説に、何らかの関係性があるような気もします。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
以上ですが、皆さんはこの映画を観て、どのように感じられましたか?
今はただ、この解釈が、僕の妄想でない事を、ひたすら祈りたいものです……。

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Posted by rockaria