『野獣死すべし』難解なあのラスト・シーン、こう解釈してみました!

少しづつ、少しづつ狂気の世界に入り込む…、恐ろしい主人公が頭から離れない

   こんな人にオススメ!

  • 和製アクションを堪能したい
  • 『ブラック・レイン』以上の優作の演技が見たい
  • リップ・ヴァン・ウィンクルの話が知りたい
  • 小林麻美に会いたい

どんな映画?

大藪春彦の原作を、1980年に村川透が監督した角川映画。
角川のお家芸で大宣伝したにも関わらず大コケしたが、いまだに根強いファン(僕みたいに)がいるカルト的アクション映画。
アイドルを脱皮し、歌手として大ヒットを飛ばす少し前の小林麻美の出演が話題にもなった。
この作品の最大の関心事は、間違いなく、見た者を混乱させるラスト・シーンにある!

▶︎▶︎▶︎ 刑事から奪った拳銃で、すぐに賭博場に行き三人を射殺、現金を奪った元戦場カメラマンの伊達(松田優作)は、次に狙うのは銀行だった。
だが、それにはもう一人、共犯者を必要とし、目を付けたのが暴力的なウエイター、真田(鹿賀丈史)だった。
二人は銀行襲撃の準備を進めるが、伊達の前に、社長秘書の華田令子(小林麻美)が現れ、伊達に好意を寄せる。
一方、刑事殺しの犯人、カジノ襲撃犯を追って、柏木刑事は伊達を執拗に追いかけていた。
銀行襲撃の当日、伊達の前に現れたのは、何も知らず、偶然銀行にやって来た令子だった。
マスクと帽子で顔を隠した伊達は、予定通り銀行を襲撃し、逃げようとした時が、気配を感じて振り向いた所に、令子の姿があった。
彼女には分かっていた。マスクと帽子の下に隠された、愛しい男の正体を。
伊達は、彼女にゆっくりと銃を向けると、無表情で引き金を引いた……。

狂っている……

見所&解説 ※今日はネタバレです、未見の人は読まないで下さい!

見所はズバリ、狂った優作の演技!

奥歯を4本抜いて、体重を10キロ落として撮影したことは有名だが、それにしても、異常とも思える伊達役を、計算尽くされた演技で見事に演じきった。
オープニングで刑事を襲うシーンは、アマチュアとプロの戦いのように見せ、カジノで人を殺した時には、緊張と興奮で、銃が手から離れない失態を見せている。
なのに、中盤から後半にかけたは、エクスタシーを感じるように、簡単に人を殺している。
このスイッチの切り替えが起こるシーンがある。イラストに描いたシーンだ。
伊達は銃を頭に当て、引き金を引くがもちろん空砲で、カチッと音がするだけだ。
だが伊達は、ゆっくりと崩れ落ち、死を演出している。
人間としての伊達が、死んだことを意味しているように見える。
以後、人が変わったように冷徹に殺人と銀行襲撃計画を進めて行くが、この時点ではまだ、辛うじて一線を超えきれない伊達の姿があった。
それには令子の存在が関わっている。
タクシーで腕を掴まれ、動揺した伊達はマンションに戻ってから、スピーカーの前で、自分の感情に戸惑い、心の中で葛藤が起こっていたに違いない。
そして銀行襲撃の当日、偶然銀行に来てしまった令子を、今度は容赦無く撃ち殺してしまう。
伊達が一線を超えた瞬間だ。

逃走中の列車にまで追いかけて来た柏木刑事に、「リップ・ヴァン・ウィンクルの話」を始めた所から、彼は完全に狂ってしまった。
この認識は、ラストを解釈する上でとても重要だ。

断っておくが、ラスト・シーンの解釈は、見た人が自由に取ることが出来る、そう観客に投げかけられているため、正解と言うものが存在しない。僕がこれから記す解釈も、そう理解して頂きたい。

何故、「リップ・ヴァン・ウィンクル」の話をしたのか?
妻の元を離れて、狩に出かけたウィンクルは、森の中で見知らぬ年寄りに声をかけられる。そして、遊びを楽しんでいる彼らと酒盛りをするが、ウィンクルは寝てしまう。
彼が目を覚まし、急いで家に戻ると、妻はすでに死んでいて、街の様子も一変していた。
彼がひと眠りしている間に、何十年も過ぎていた、と言うのがあらすじだ。

この話の解釈を、戦場カメラマンとして生きていた世界から、日本に帰国した伊達が、あまりにもギャップを感じて、何十年も過ぎたと、そう感じたからだと唱える人も多い。
だが、僕が注目したのは、酒の名前と、一眠りした間に何十年も経った、と言うところ。
伊達に銃を向けられた柏木は、なんて言う酒だったんだ? と尋ねる。
それが、X.Y.Z、つまり終わりを意味している。伊達は「これで終わりだ!」と言って銃のトリガーを引くが、不発に終わっている。
柏木は、隙を見て逃げようとするが、すぐに銃で撃たれ、暴行され、死んだか、あるいは瀕死の状態になってしまう。
電車から飛び降りて、たどり着いた場所で、相棒の真田を簡単に殺してしまう。
その一挙手一投足が狂っている。
何故そうなってしまったのか?
戦場での体験を、伊達自身が話す場面を見れば明らかだ。
心の傷、今で言うPTSD、心的外傷後ストレス障害が伊達の中にあったのだ。(あくまできっかけとして、また、極端な例として取り上げているので、みんながみんな、こんな風になるとはもちろん思ってもいません。あくまで、映画のラストを解釈しやすいように、心の傷を、ストレス障害と言う、現代的な表現をしているだけです)

場面が変わり、最初のコンサート会場にいるようなシーンになる。
が、不思議なことに、映画の最初の方で、令子と隣同士に座ったシートは二つとも空いているが、カメラがオーケストラから戻ってくると、そのシートに伊達が寝ているのだ。
まるで時間を超えて、突然現れたかのように。
ピアノ演奏が終わると、伊達が持っていた本を落とし、その音で目が覚める。
ホールにはもう誰もいない。
伊達は夢から覚めたように、辺りを見回す。
今までの出来事は夢だったのか?
これは現実なのか?
それを確かめるように、「あっ!」と叫んでみる。
その声は無人のホールに響き渡る。
ホールを出ようとした時に、もう一度叫んでみる。
伊達が微笑みを浮かべる。
多くの人は、この一連のシーンを見て、「え? 今までの出来事は伊達の妄想で、実際には何も起きていなかったのか? 夢オチなのか?……」と解釈した人もいるようだ。
それはちょっと違う。
伊達はこう思っていたのだ。
どうやら、一眠りしている間に、「リップ・ヴァン・ウィンクル」のように、かなりの時間が過ぎ去ったのかも知れない。
そして、何もかも終わり、犯罪も殺人からも逃げ通せた、これで自由になったんだと。

もう一度言っておこう、伊達は狂っているのだ。

問題のラスト・シーン。
会場を出て、階段を下りる途中で、伊達は狙撃されたように胸を押さえて倒れてしまう。
この時の音に注目だ。
その音は、伊達が戦場で嫌と言うほど聞いてきた銃撃の音と同じだ。
つまり、現実の音ではない、のだ。
そして何故自分が撃たれたのか、視線の先に映ったのは、死んだか、重傷のはずの、血だらけの柏木刑事の姿だ。
銃は持っていないが、これは明らかにおかしい。
伊達の目に映った柏木が、もし本当の姿なら、傷の手当をしているか、病院のICUにいるはずだ。(生きているとして)
電車で撃たれた直後の姿で現れるはずがないのだ。
これは、明らかに伊達が見た幻影に過ぎない。
だから演出的にも、陽炎で柏木の姿が揺れているのだ。
だが、伊達には見えたのだ。
その柏木は、伊達の犯罪を知る唯一の人物だ。
伊達は、ホールで一眠りしている間に、すでに時が過ぎ去り、全て終わったと思っていたのに、そこに柏木がいる。
X.Y.Z、これで終わりだ、と言う言葉が伊達の頭に浮かんだかも知れない。
極端にストレスが襲った事は、容易に想像が付く。
そして、伊達の身体に二発目の銃弾が当たって、彼は倒れる。
絶対にありえない、過去からの銃弾に……。

伊達がその後、どうなったのかは、知る由もない。
時間はそこで、止まってしまったのだから……。

○○○+○ エキストラボール

● この作品の松田優作の演技を見て、『ブラック・レイン』の悪役を思い出した人も多でしょう。(あの目の感じとか)
実は監督のリドリー・スコットも、彼の演技を目の当たりにして、急遽、脚本を彼のために書き直したほど、彼に惚れ込んでいた。
生きていたら、と思うと、本当に残念で仕方がない。

● 我らがアイドル、小林麻美が実にいいアクセントになっている。
このまま女優まっしぐら! と思っていたら、数年後に、ガゼボの「アイ・ライク・ショパン」を日本語でカバーして歌った、「雨音はショパンの調べ」が大ヒットするんだから、分からないものだ。
CDはもちろん、レコード、LDまだ買っちゃったよ……。

● 公開当時劇場で見たけど、この頃邦画は2本立てが当たり前だった。もう一本が『刑事珍道中』(でかちんどうちゅう、と読みます)で、『野獣死すべし』を先に見たので、『刑事珍道中』の方は全く頭に入ってこなかった……。

 


 

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