映画『異人たちとの夏』 怪談「人情噺」に泣ける…
本日も、大林宣彦監督を偲んで…
ファンタジーであり、ホラーである
こんな人にオススメ!
- 心に染みる映画が見たい
- 怖い幽霊の概念を壊したい
- 最近、親に会っていない
どんな映画?
大林監督が、1988年に作った名作。
自分よりも若い両親の幽霊と、心温まるひと夏を描いた、大林監督の愛が詰まった傑作だ。
片岡鶴太郎は、当時「オレたちひょうきん族」などで、キモキャラと言うポジションだったが、本作での演技が高く評価され、これをきっかけに俳優の道を歩んで行く事になった。
▶︎▶︎▶︎ 40歳を過ぎたシナリオライターの原田(風間杜夫)は、妻と離婚し、マンションでひとり暮らしていた。
同じマンションのケイ(名取裕子)と言う女性が、夜中にお酒を一緒に飲んで欲しいと訪ねて来るが、そんな誘惑も通じない程ストイックな性格をしていた。
ある日、仕事が早く終わり、昔住んでいた浅草に行き、映画を見ていると、男が声をかけて来た。
「家で一緒に飲もう」と誘って来るその男は、どう見ても、昔、若くして死んだ自分の父親に間違いない。
まさかと、半信半疑で向かった家には、母親の房子(秋吉久美子)が原田を待っていた。
それからと言うもの、両親のアパートに足繁く通い、ケイとも親しくなって行くが、至福の時間は長く続かない。
原田の顔色は悪くなり、体に異変が現れて来た。
ケイや周りの人間は、原田の身体を心配し始めるようになっていたが……。
見所&解説
名作とか傑作の定義は曖昧だと思う
僕はわりと自分が楽しかった、感動した、面白かった映画に対して、すぐに名作だ、傑作だ、と言ってしまうが、それでいいと思っているし、そのほうが楽しい。
結局、映画を見終わって、その作品が好きか嫌いか、あるいはこんなもんかな、と自分が思えば、その映画は名作にも駄作にもなってしまう、と言う事だ。
映画は見た人の主観が大きく作用しているのは、自分にとって面白かったと言う映画を、他人が見ればつまらない映画、と評する事が多々あるからだ。
偉大なる映画評論家先生が、どんなに傑作だと圧力をかけられても、自分がつまらん、と思えばそれ以上でも以下でもない。
山田洋次監督が選んだ日本の名作100本
2011年から約3年間にわたり、BSプレミアムでこの企画が行われ、当時リアルタイムで見ていたが、この『異人たちとの夏』もその中の一作として選ばれていた。
山田洋次監督は、この作品を見て、親の墓参りに行きたくなった、としみじみ語られていたのが印象に残った。
見所はズバリ、同世代の俳優たちが、親と子を演じ切った愛情物語
両親の歳を完全に追い越した息子の原田が、両親に甘える。
その両親は、大きくなった息子を、立派になったと、深い愛情を持って接する。
見ていて不思議な感覚に陥るが、これが気持ち良い。
アパートの部屋の中は、昭和を代表するようなインテリアで、見る世代にとっては、強く郷愁を抱くだろう。
だが、幸せな時間は長く続かず、やがて別れがやって来る。
このシーンは、涙無しには見られない大林監督の演出が待っている。
親として、子供のことを最優先する愛情が、涙の洪水を呼び起こす。
そして、これを見る者は、大林監督が映画に注いだ愛情に、改めて敬意を評さずにはいられない!
ぶっちゃけ、親の立場からこの映画を見ると、もう号泣です。
一人で見ることをオススメします。
ヒッチ先生の【談話室】
この映画、僕は名作だと思うんですが?
わしゃ、何も言うことないで
もう終わりですか?
いい映画を観たら、それを語り継ぐのは観客の使命や。
わしの作品も、気に入ってくれたファンが、いつまでも語り継いでくれてる。
監督冥利に尽きないと思わんか?
大林監督作品を、いつまでも語り継ぐ事が、映画ファンの使命だと、言えるんちゃうか?
僕はこれからも、色んな映画を、いっぱい語り継いで行きます
ディスカッション
コメント一覧
こんにちは、ロッカリアさん。
私の大好きな映画の1本「異人たちとの夏」の素敵なレビューを読ませていただき、初めてこの映画を観た時の感動が、走馬灯のように甦ってきました
この大林宣彦監督の「異人たちとの夏」は、現代の日本が失ったものの大きさを感じさせてくれる作品だと思います。
この映画は、山田太一の原作を、市川森一が脚色し、大林宣彦が監督という、日本映画では珍しい豪華なメンバーで、中年のシナリオ・ライターが、死んだはずの両親と再会する不思議な体験を描いた作品ですね。
幽霊といえば、簡単にSFXで処理しやすい対象だと思いますが、この映画では、敢えてそうした技術に頼る事なく、”潜在意識の中にある既視感”をもとに、リアリスティックに掘り下げています。
原作者が、映画の製作経験があり、しかも脚本家が、トップ・クラスという事もあるのかも知れませんが、ここでの大林監督の演出は、かなり控え目で、今まで大林作品に慣れ親しんで来た者からすると、意外な部分も多かったような気がします。
しかし、脚本が良く練られているというのは、40歳になり、妻子とも別れ、大きなマンションに住むシナリオ・ライター役の風間杜夫が、特に変わった事もない日常の中で、ある夏の日、地下鉄のゴースト・ステーションを抜けて、浅草に入るという導入部に端的に表われていると思うのです。
特にSFXなど使わなくても、約束事さえ守れば、例えば、ジャン・リュック・ゴダール監督の「アルファビル」のように、未来でも、どこにでも時間は自由になるのであり、ここでも、一旦、地下鉄を潜り抜けて浅草に出ると、過去に戻っているのです。
しかも、父親役を演じる片岡鶴太郎の登場は、不思議に懐かしい世界を引きずっている雰囲気を醸し出しています。
主人公の風間杜夫の両親は、既に交通事故で死んでいるわけですから、本来、ありえない事ではあるものの、しかし、そこで描かれている光景というものは、何と懐かしいものだったんだろうという気がしてきます。
片岡鶴太郎の浴衣に下駄を履いている姿。
そして、母親役の秋吉久美子の、いかにも、かつて、下町にいたような粋な女性。
寿司職人という設定もあったのでしょうが、自分が正しいと思えば、どこまでも通す、一本気な男も、粋な女性も、全て、今の日本では失われてしまったような気がします。
いや、失ったのは、そうした人間ばかりではなく、テレビも何もなくても、夕暮れ時の雲を眺めながら、ビールを飲み、あくせく考える事もなく過ごす時間。
決して裕福ではないにもかかわらず、両親と語らい、食べ、飲むという、かつてはどこでも見かけた光景。
しかし、考えてみれば、これほど贅沢な時間の過ごし方があったのだろうかと思います。
そんな、時間がどこか止まってしまいながらも、宝石箱の中にしまいこんでおきたい大事なものが、かつての日本にはあったのではないかと、つくづく思うのです。
その点で、経済的には急成長した現代の日本が失ったものの大きさ、それをこれほど実感させてくれた作品はありません。
だからこそ、両親と、料亭ですきやきを食べる別れのシーンが、あれほどにも悲しかったのだろうと思うのです。
こうした事を感じさせてくれた大林監督の研ぎ澄まされた感性と、抑制された演出が、実に見事だったと思います。
mirageさん、いつもコメントありがとうございます。
僕も、いつもmirageさんのコメントに感動し、懐かしい記憶と共に、ノスタルジーに浸らせてもらっています。
昭和の夫婦を、絵に描いたような形で再現し、現代に疲れ、悩んでいる子供に、優しく包み込むような時間で、癒して行く親の行動に、涙せずにはいられませんでした。
また、昔を語る事で、バブル期を迎えた日本が見失っていたものを、思い起こさせる映画の力は、mirageさんのコメントに書かれている通りです。
そして、両親とに再会に、自分が失ったものが、いかに大切なものだったのか、映画を見ている人に対しての、さりげないメッセージも、大林監督の凄さを表していますね。
歳をとると、子供に戻っていく、と言う表現を、ネガティヴに受け取っていましたが、そうじゃなくて、過ごして来た時間が、再び鮮やかに蘇ってくる、そんなふうに考えると、ノスタルジーに浸るの悪くないと感じます。(現に学者さんは、昔のことを思い出すことは、脳の活性にとても良いと言っていました)
我が家も、子供たちはみんな巣立って行きましたが、孫と言う、新しい希望に出会い、まだまだ頑張らないとダメだと痛感しました。
時折見直すこの映画、見る度に、新たな気持ちにさせてくれる、名作に違いないと思っています。
見る年代によって、受け取り方は違うと思いますが、僕ら世代にとっては、珠玉の作品に違いありません。
mirageさんのコメント頂き、近く、またこの映画を見たいと思いました。
いつも素敵なコメントを、ありがとうございます。
また、お持ちしています!