映画『アガサ・クリスティー:ねじれた家』映画化には無理がある?

今日ご紹介する映画は、ミステリー小説の女王、アガサ・クリスティーの原作による作品です。
ねじれた心を持った、一族に起こる悲劇!
こんな人にオススメ!
- ミステリー・ファンで探偵ものが好き
- クリスティーと聞いて胸がときめく
- 1949年当時を再現した世界観が見たい
どんな映画?
イギリス貴族と言えば、社会現象にもなった大ヒット・ドラマ、「ダウントン・アビー」を連想する人が多いと思いますが、正にそんな感じをバックグラウンドに持った作品です。
クリスティーと言えば、名探偵ポアロやミス・マープルが有名ですが、この『ねじれた家』では、若きチャールズと言う探偵が事件解決に乗り出します。
▶︎▶︎▶︎ 大富豪レオニデス家の主人が、何者かに毒殺された。
私立探偵のチャールズは、レオニデス家の孫娘で、元恋人のソフィアから、事件の真相を突き止めて欲しいと依頼される。
早速調査に乗り出したチャールズだが、一族全員に動機があり、調査は難航する。
やがて二人目の死人が出て……。
見所&解説
僕は、自慢じゃないが、積極的に騙されるタイプのミステリー・ファンだ。
しかし、この映画ほど目の前に怪しい人物がいるのにも関わらず、僕のねじれた心が原因で、騙されたのは初めてかも知れない。
未見の人はここまで。以降ネタバレ気味な話になります
ミステリー・ファンなら、一番怪しく無い人物が一番怪しい、と言うのは鉄則、なのに騙されてしまうのは、さすがクリスティーだと称賛すべきだろう……。
ちょっと待って!
この映画の結末と犯人を見て、僕の頭の中に 浮かんだミステリー小説の名作がある。
エラリー・クィーンの「Yの悲劇」だ。
物語の内容はかなり違う、が、結末と犯人の設定はかなり類似している。
もちろん「Yの悲劇」の方が執筆年度は早い。
クリスティーがどれだけ意識していたかは知る由も無いが、犯人、結末、重要なアイテムの類似性を考えると、ひょっとして、「Yの悲劇」に対するオマージュ、あるいはアンサー・ソング的な小説、そう捉えることが正解かも知れない。
もう一つ頭に浮かんだミステリー小説がある
横溝正史の「迷路荘の惨劇」だ。
これは、物語というより、その形態が似ていると感じる。
容疑者を突き止めるために、探偵は一人ひとりに話を聞いて回るが、そのシーンがやたら長い。
それが長くなれば長いほど、読者は退屈になってしまう。
だから、作家もそうだが、映像作家も、この退屈ともいえるシーンを観客に見せる時は、それなりの工夫が必要だと思うが、それはこの映画にも言える事だ。
このシーンに工夫がないと、物語が停滞してしまうのだ。(←評論家か…)
だめだ、ミステリー好きだから、文句が多くなってしまう。
探偵のキャラ設定は合っているのか?
物語を牽引する力、この映画は弱い。
ミステリーの主役と言えば、謎を解明して、犯人を突き止める探偵か、不可能犯罪を企てる犯人、このどちらかだ。(二人が際立てば尚良い)
この映画を見る限り、犯人よりも、探偵が主役だと言える。
ところが、このチャールズと言う探偵、残念だが魅力が無いのだ。
クリスティーと言えば、ポアロ、ミス・マープルが特に有名だが、二人のキャラは物語を牽引する力を充分に持っている。
映画化にあたって、この二人にキャラを変える選択肢はなかったのだろうか?
設定上、どうしても原作通りにしたければ、チャールズのキャラに、もっと魅力を与えた方が良かったと思う。(見た目を含めて)
この映画、もしハリウッドか制作していたら、絶対ポアロに変更していたと思うが、イギリス人の気質が、真摯に取り組んだ結果、真面目すぎる映画になってしまった、と言うことでは無いだろうか。
ご自分の目で、確かめてください。
クリスティー原作の映画、最高峰はこの作品!(↓)
ヒッチ先生の【談話室】〜木は森に隠せ、の逆ヴァージョン?

ロッカリア

ヒッチ先生
これは邦画でもそうやけど、例えば『犬神家の一族』も、当時の日本を代表するスターが総出演的な映画になってるやろ。
なんで?

ロッカリア
そりゃ、有名俳優が多く出た方が、話題になって、お客さんも多く入るからじゃ無いですか?

ヒッチ先生
でもな、本当は犯人の特定を、分かりにくくするため、ちゅうのもあるんやで。
有名な俳優が一人二人しか出てへんかったら、観客もこの二人、怪しいで、となるやろ。
昔から言う、「木は森に隠せ」ちゅう事や。
ただ、この映画はそれを逆手に取っているようにも見える。
テレンス・スタンプは警察側で、グレン・グローズぐらいやろ、怪しいの

ロッカリア
先生、今日もありがとうございました

ヒッチ先生

ロッカリア
ディスカッション
コメント一覧
Yの悲劇との類似性をよく指摘される本作ですが、『アガサ・クリスティーの秘密ノート』によると、クリスティがこの作品の構想を練る段階では犯人の候補が複数いたようなので、〇〇が犯人という結末を書きたくて書いた作品というわけではないようです。なのでYの悲劇を意識して書いたのかどうか、ちょっと微妙な気がします。
コメントありがとうございます。
そして、貴重な情報提供、ありがとうございます。
クリスティの小説は、高校時代に夢中になって読んだぐらいで、ほとんどが記憶の彼方に…。
犯人を知った時、すぐに「Yの悲劇」が頭に浮かんだものですから、何か意識して書いたんじゃ無いかなぁと、単純な発想で申し訳ありませんでした。
そう言われてみれば、クリスティば、多くの作品を、核心部分(殺人場面とか)から書く事が多いと読んだ事(「天才たちのライフハック」)があるんですが、犯人の候補が複数いた、と言うのは、まさにそれを証明しているんですね。
だから現代でも、彼女の小説は、多くの人に受け入れられるんですね。
本当なら、このブログで、「通りすがり」さんのようなトリビアを描かないといけないのですが、今回は勉強になりました。
よろしければ、お暇な時に、また遊びに来てください。